(このページはShift_JISコードを使用しています) ---------------------------------------- 色々(旧ほぼ雑感) ---------------------------------------- 本コラムのタイトル「ほぼ雑感」改め「色々(いろいろ)」となりました。 暇つぶし程度に読んでもらえれば幸いです。 目次 ------------------------------------------------------------ 熱帯魚、苔、メインフレーム、そしてマイコンに戻る 続、東京散歩 量子コンピュータは本当にコンピュータか? 東京散歩 計算尺買いました 再訪、国立国会図書館 光の3原色と物理学 電卓以下のマイコンとAI 印象に残った周辺装置 マイコンの自作 たぶん世界で一番小さなプログラミング言語 いざ、国立国会図書館へ! 印象に残ったコンピュータ eZ8CPUコアの特徴 ごあいさつ ----------------------------------------------------------- ■■■熱帯魚、苔、メインフレーム、そしてマイコンに戻る(2023/05/30掲載,2023/05/31最終変更)■■■ 数少ない読者の皆さま、お久ぶりです。 前回の「続、東京散歩」から1年以上、このコラムは休眠状態でした。 そんな熱心な読者はいないだろうから誰も気にしてなかったと思うけれど、その他のコンテンツ(プログラミング、シーケンス制御)もほぼ更新が止まっていたので、そちらの方でバレてかも知れない。 この1年何があったか? その話をしようと思います。 実は、熱帯魚の飼育(アクアリウム)にハマってました。 きっかけは、去年の夏(もっと細かくいうと初夏)クラゲを飼ってぼっと眺めていたら、癒されるじゃないかと思ったのが始まりです。(突然、どーした???) そこで、クラゲ飼育方法を調べたのですが、寿命が短いとか、給餌が難しいとかが解って断念しました。 それじゃ熱帯魚を飼おう、というのが始まりです。 恥ずかしながら、この時の知識は ・「熱帯魚」=「熱帯の海で泳いでいる色鮮やかな魚」 ・水道水には塩素が入っているからそのまま使っちゃダメ! という程度で、おまけに前者は間違っています。(*1) 最初に飼育した熱帯魚は、ボララスブリッジタエというオレンジ色に黒のストライプの入ったメダカくらいの大きさのかわいい熱帯魚で、これを1リットルぐらい水の入るガラス瓶にを入れて飼い始めたのが始まりです。 いわゆる、ボトルアクアリウムってやつです。 でも、すぐに死なせてしまって、原因が解らず色々迷走しました。 ・水槽全体を透明な小型の冷蔵庫に入れようと冷蔵庫を物色(さすがにこれは買わなかった) ・氷の入った容器を水槽に入れる(これは効果あり) ・スマホ冷却用のペルチェ素子を水槽に貼り付ける(これは効果なし) 結局、18cmのキューブ水槽に、水槽用の冷却ファンを付けて夏を乗り切りました。 今思えば、温度じゃなくて、酸素不足か水質悪化が原因だったのかもしれません。 そこで止めておけばよかったのだけれど、自分の知識に慢心していた時期で、もっと大きな水槽が欲しくなり設置スペースの制約から縦長の花瓶(高さ40cm)を買って、濾過器を設計・製作したのが間違いでした。 1〜2日で全滅させてしまいました。 ちょっとショック。 この事件以降、無謀なことはせず、温度、酸素、水質(亜硝酸)に気を付けるようになったせいか、滅多に死ななくなりました。 そして、ついにタカミコムボードのトップページに写真「DESKTOP COMPUTER AND AQUARIUM 2022」を載せるまでになりました。 それから、今年(2023年)初めからは「苔」にもハマってしましました。 「苔」といっても盆栽の苔ではなく、もっとオシャレなガラス瓶に入れて育てる「コケリウム」です。 現在、私の机の上(DESKTOP)には、コンピュータと水槽と苔の瓶が共存しています。 トップページの写真が「DESKTOP COMPUTER AND AQUARIUM AND KOKERIUM 2023」に入れ替わるのも時間の問題かと思います。f(^_^; そして時は流れて、関心は再びコンピュータの世界に戻りつつあります。 最近、我が家に異色のコンピュータが2台やってきました。 1台目は、DEC社のPDP-10、昔のメインフレームです。 種を明かすとRaspberry Pi上でPDP-10のエミュレータを走らせただけです。(*2) そこでBASIC言語で書かれたStar Trekを走らせて… 2台目は、KEYENCEのKV Nano、こちらはガチのPLCです。メーカーから直接購入しました。家のPCとLANで繋げてFTP転送して… そろそろ調子を取り戻して、マイコンに戻る時期が来たようです。 この勢いで当分の間、タカミコムボードのホームページも更新しまくることになるかと思います。 -------------------- (*1)明らかに映画「ファインディング・ニモ」の影響を受けています。でも、趣味のアクアリウムとしては淡水魚の方がメジャーです。 (*2)Kindle本で高瀬行夫氏の「超マシン復活#1 DEC TOPS-20 …」を見てインストールしました。 非常に丁寧に解説してあるので、Raspberry Pi(Linux)の苦手な私でもインストールできました。 タカミコムボードのホームページに辿り着くようなあなたに、超お勧めです。 ■■■続、東京散歩(2022/01/10掲載,2022/03/13最終変更)■■■ 2019年「東京散歩」お勧めコースの続編です。 今回は山手線の外側です。 (その1)錦糸町駅から上野方面へ 東京7副都心の1つ「錦糸町・亀戸副都心」の中心、錦糸町駅からスタートです。 錦糸町を知らない人のために簡単に説明しておくと、JRで東京から千葉方面へ行くには東京湾沿いの「京葉線」と、それより少し内陸側の「総武線」の2つのルートがあります。 錦糸町駅は総武線の途中駅で、東京から見て最初の大きな川である隅田川を渡って2つ目の駅です。(1つ目の駅は両国駅) ちなみに、東京ディズニーランドは京葉線、東京スカイツリーは総武線です。 さて、錦糸町駅の共通認識ができたところで、今回のミッションです。 「錦糸町駅から都心方向の上野駅に行くこと、ただし途中の隅田川は厩橋(うまやばし)を渡ること」 なぜ「厩橋」を渡るかっていうと、写真で見た橋のリベットがクールだったので、実際に見ておきたかったからです。(*1) 大正時代(*2)の建築技術の粋を集めて作った橋と説明されたら信じてしまいそうな何とも言い難い独特な雰囲気が漂っています。(ただし夜景ね、昼間はそんなオーラー出てません) さて、夏の終わりの午後、錦糸町駅に集合し、東京スカイツリー方面の出口から西へ向かってスタートしました。(もう、コース紹介に入っています!) しばらく西に歩くと隅田川に到達する直前に江戸東京博物館にぶつかります。 ここで、右に曲がって北上します。(この時点で、ほぼ隅田川沿いに上流に向かって歩いていることになります) 暫く歩くと横網町公園(*3)に着きますので、一旦休憩しましょう。 当日は歩道沿いにやけに屋台が多く、焼きそばやトウモロコシを売ってて変だとは思ったのですが、その日は9月1日、公園にとって特別な日でした。(*4) 休憩が終わったらさらに北上を続けて、進行方向左に厩橋が見えたら橋を渡ります。(リベットマニアはここで記念写真を撮ってね!) これで、隅田川の内側エリアに入ってミッション半分終了、あとは好きなように上野駅方向に向かって斜め(実際はジグザグ)に移動します。 ここから先暫くは、閑静な街並みを散策しましょう。住宅街にポツンと落ち着いたコーヒー店がありました。 実はこのとき、スマホの地図がおかしくなってちょっと困りました。 ここら辺は異次元なので磁場が狂うのかも知れません。f(^_^; そのおかげか、大通りに出たらビルの上にあるでっかいコックさん(「ニイミ」でググれば写真が見れると思います)に出会えました。 予備知識がなかったもので、ちょっとびっくり! どうやら、ここらへんが厨房専門店が集まる「かっぱ橋」ですね。 食品サンプルや鍋などを見ながら通りを抜けて、上野駅まであと少しです。 なのに、その日は完全に方向を見失っていました。(磁場のせいです)f(^_^; しばらく歩くと「ファイヤーチキン」という看板が見えて来ました。 日差しも少し弱まった夏の終わりの午後、怪しく光る店内の明かり、伝説の「火の鳥」が食べれるのか?まさか! でも「チキン」って看板に書いてあるし…。チキンは鳥でしょ。(*5) さて、暗くならないうちに上野駅を目指します。(後で調べたら、とっくに上野駅を追い越してました) 謎のバイク屋(?)の前を通って、やっとJR上野駅に到着。 普段使わない駅入口で見慣れない駅構内の通路を歩かされるので、本当に上野駅か?って感じになりましたが、暫くすると見慣れた上野駅構内に着きました。 謎の「ファイヤーチキン」は、別の機会ということで。 (その2)大船からモノレールで江の島へ 唐突ですが、百年ぐらいの昔の人が、近未来の都市の風景を描くのであれば、ビルの間を縫うように走る「懸垂(けんすい)式モノレール」は必須かと思ってます。 念のため説明しておきますと、モノレールはざっくり2つに分類できます。 1つは高架橋の「上」をまたがって走るタイプで、もう1つは高架橋の「下」にぶら下って走るタイプです。 後者が懸垂式モノレールで、近未来感を演出するには懸垂式モノレールでなければいけません。(個人の意見ね!) 私が知る限り、東京近郊で懸垂式モノレールに乗ろうと思ったら、千葉の「千葉都市モノレール」か大船(神奈川)の「湘南モノレール」しか選択肢がありません。 上野公園の懸垂式モノレールは廃止になりましたし…。 さて、今回はそんな懸垂式モノレールを含むコースです。 実は、湘南モノレールには一度乗ったことがあり、今回は2回目です。 湘南モノレールは、林の中を通り抜ける区間があり、自然の中を走るモノレールというイメージです。(近未来都市の乗り物とはちょっとイメージが違うって感じ) でも、時代がまだ湘南モノレールに追いついていないとも言えなくもない。 f(^_^; もっと先の未来の都市は、きっと緑に囲まれた自然と調和した形になっていくのだと思ってます。 テクノロジーを見せつけるような都市の景観は、いずれ「21世紀的な古い概念」と言われる日が来ると思います。 私はそんなに長生きできませんが、まだ生まれていない「未来世紀の恋人」が緑に囲まれた都市で幸せに過ごせればそれで十分です。(*6) 脱線してしました。急いでコース紹介です。 神奈川県大船から鎌倉を通らず、湘南モノレールで湘南江の島駅へ行きます。 駅名の通り、これで江の島の前に着くので、歩いて江の島に渡ります。 江島神社に着いたら、左の登山道を歩き、ぐるっと一周すると、神社の左脇(*7)に出ます。 なお、坂を上るのが大変なら「エスカー」という楽ちんな乗り物がありますので、是非これをお使いください。ある意味、衝撃的です! そのあと江ノ電で鎌倉駅に行って、そこからはJRで上野駅まで移動、そこで降りて謎だった「ファイヤーチキン」で旨いチキンをたらふく食べました。 やっぱり「チキン」でした。 旨いんで、また来ます! ここからは、まだ乗ったことのない「千葉都市モノレール」の話です。 こちらは「都市」とネーミングするだけあって、それこそ都市を縫うように走る近未来の「モノレール」です。 世界的にはSF「ニューロマンサー」の「チバシティー」の方が名前が通っているような気がするけど、千葉市民は近未来都市に住んでいることを自覚してないと思う。 千葉県人(千葉市民ではない)に聞いたところ「千葉都市モノレール」は動物園に行くときに乗ったそうです。 やっぱり、モノレールと動物園は切り離せないのか。 -------------------- (*1)今なら、このホームページのトップに写真が貼り付けてあります。(2022/01/10時点) (*2)ウィキペディアによれば、現在の厩橋は大正15年着工、昭和4年完成でした。 (*3)横網町公園の「横網」は「よこあみ」と読みます。両国駅が近いせいもあり、大抵の人は最初「よこづな」と読み間違えます。 (*4)この公園は普通の公園ではありません。 関東大震災、東京大空襲で犠牲になった方々を供養する公園で、朝鮮人犠牲者追悼碑もあります。 9月1日は関東大震災の日で、碑の傍で資料展示と慰霊祭を行っていました。 (*5)アメリカ人は「ポテトとケチャップは野菜」と言うらしい。それに較べたら「チキンは鳥」と言っても全く問題ありませんよね。 (*6)わかる人だけ「うん、わかる」とうなずいて下さい。 (*7)神社の「右脇」の間違いでした。つい、山から降りるときだけ、神社側から見て「左脇」と書いてしまいました。 ■■■量子コンピュータは本当にコンピュータか?(2020/04/12掲載,2022/01/02最終変更)■■■ 大きな声ではいえなけれど、実は、私は量子コンピュータが存在することさえ疑っている。 もちろん世間で開発競争が行われていることは知っているけど。 直観だけど、量子ビットというあいまいなビットでは、制御された手順で2進数の演算ができるとは到底思えない。(*3) もし、量子コンピュータが実用化されても、我々が思っているようなプログラミング言語を解釈、実行する現在のコンピュータではないような気がする。 ただ、ビットパターンを入力すると勝手に平衡状態になって目的のビットパターン出力が出てくるような量子コンピュータなら成功したと聞いている。(*1)(*4) けれど、これって入力電圧を与えると、勝手に平衡状態になって目的の電圧出力が出てくる(*5)一昔前のアナログコンピュータみたい。 現在、アナログコンピュータは、ICチップの中でアナログデータに対して演算する回路としては残っているが、コンピュータとは呼ばない。(*6) 同様に、量子コンピュータが実用化されてもICチップの中の高速演算回路としてのみ存在し、コンパイラやユーザインタフェース部分は従来型のコンピュータが担当しているようだったら、コンピュータって呼びたくない。 もし、これを量子コンピュータって呼ぶのならアナログコンピュータもちゃんとコンピュータって呼んであげなければ不公平だよね。 以上が、現在の私の量子コンピュータに対する見方。 もし近い将来、従来型のコンピュータのような量子コンピュータが実用化して、それでBASICインタプリタが書けるようになったら、素直に負けを認めます。(すでに、実用化されていたりして…f(^_^;) 量子コンピュータで動くTinyBASICなんて無駄もいいとこだけど、使ってみたい(作ってみたい)気もするし。(*2)(*7) -------------------- (*1)出所は不明。たぶん、テレビか新聞か本屋の立ち読みでしょう。 (*2)量子コンピュータはプログラムを実行するのは苦手、でも逆にプログラムのいらない神経回路(脳)の分野では実用化しそうな気がします。 (*3)現在2020年8月、あれからちょっと情報収集しました。理解できたことを列挙しますが、かなり私見(偏見)が入っていますのであまり真に受けないでね。f(^_^; ・量子コンピュータの計算は物理的な外乱でエラー(誤差)が発生し、計算を繰り返すとそのエラーが蓄積(増大)するため大規模化が難しい。 ・量子コンピュータが高速で計算できる理由は、(物理現象を使って)並列処理させることで既存のコンピュータより計算回数を減らすことできるからであり、高速で動作するからではない。 ・量子コンピュータは(汎用マシンとされるゲート型であっても)特定の計算分野でのみ威力を発揮するため、既存のコンピュータの代替とはならず、既存のコンピュータ内部の演算回路の代替となる(はず)。 ・量子コンピュータを実現する素子の本命が未だ決まっていない。既存のコンピュータに例えるならトランジスタ、真空管、パラメトロンのどれが有力か研究している段階である。 (*4)今、考えるとこれは量子コンピュータの種類「ゲート型(=汎用マシン)」と「アニーリング型(=専用マシン)」のうちの後者の方ですね。 蛇足ですが私の昔の職場(ランプ工場)では、ガラス管の歪を除去する(安定状態にする)ために加熱することをアニールと呼んでたので「量子アニーリング」は違和感なくイメージが涌きます。(イメージだけだけどね) (*5)連立一次方程式のように「平衡状態」が解ってのもありますが、どちらかというと微分方程式のように「過渡現象」が解で、これがペンレコーダなどで関数のグラフとして描けるってのがアナログコンピュータの威力が発揮できる部分でした。 (*6)オペアンプICやラジオ用のアナログICのことを言っています。 (*7)TinyBASICインタプリタが動く量子コンピュータ!そんなのはどこにもありません。 ■■■東京散歩(2019/01/13掲載,2019/01/14最終変更)■■■ 趣味といえるかは微妙なところだけれど、時々、山手線内側エリアを適当に2〜3時間歩き回るということをしてます。 適当というのは本当に適当で、一応スタート駅と大雑把なルートは決めて歩くのですが、途中かなりの頻度で迷って適当に軌道修正しながら歩き、歩き疲れたら最寄りの駅で終了!みたいな散歩です。 個人的には「東京散歩」と呼んでます。 大抵おじさん二人なので、終了後は電車で移動して居酒屋(*1)で呑んで解散のパターンです。 私は東京近郊に移り住んでかなり経つけど、いまだに典型的な「おのぼりさん」気質。 東京の街は歩いているだけで楽しいし、土地勘が無いことが幸いして未知のエリアが多く、毎回新鮮な気分で歩き回れます。 では、そんな私が選んだ特選東京散歩コースを紹介します。 生まれた時から東京に住んでいる人には残念だけど、たぶん理解できないと思う。 (その1)巣鴨駅から千石方向へ南下コース 30年ぐらい前、東京へ出張すると千石にある寮みたいなホテル(*2)に泊まっていたので、それを探す目的で訪れました。 JR巣鴨駅からスタートし、都営三田線とほぼ同じコースを歩いて南下します。 近くに六義園、小石川植物園がありますが定番すぎるので無視、ひたすら商店街も無い普通の道を歩き続けるとなぜか東大で行き止まりになります。 何で、巣鴨から南下すると東大に辿り着くのか?確か巣鴨は池袋エリアのはず、東大は上野エリアだし… どこでワープしちゃったんだろう? (ついてこれてるかな?次行きます) (その2)飯田橋駅から南下コース 飯田橋駅(山手線じゃないけど、一応山手線内側エリア)から南下し、皇居の縁を通って東京駅に着く。 これは最初から行先を東京駅にしていたので東京駅には着くのは想定内なのだけど、感覚的にはあっという間に着いてしまって、別の意味で超ワープでした。 ワープの原因は、山手線内側が思ったより狭いことと、山手線(中央線含)が環状なので駅同士離れていても徒歩でショートカットすると案外近いだけなんだろうけど。 理屈ではわかっていても不思議なことには変わりません。 物足りないので銀座へ行こうと歩き回ったけど辿り着けませんでした。後から考えたら銀座がどこにあるか知らないので当然です。 結局、有楽町駅(新橋駅だったかも)までで終了。 (その3)恵比寿駅から渋谷川沿いコース 最近の超ワープは、恵比寿駅から東に移動する渋谷川沿いコースです。 これは、恵比寿駅を出て直ぐに迷ったので、ワープの予感はしてました。 途中から、軌道修正はあきらめて適当に歩いていたら、六本木ヒルズにたどり着いてしまいました。 本当は渋谷川沿いを歩いて大使館を見たかっただけなのに。 最初に渡った小さな橋が渋谷川だったのかも? 番外ですが、敢えて道に迷いたい方には、次のミッションをお勧めします。 ・JR田端駅から熊野前商店街を探せ!(昭和の設定なので舎人ライナー「熊野前駅」スタートは反則です)(*3) ・上野駅から神保町の本屋街へ行こう!(一本道でないので難易度高) ほんと、東京は不思議だわ。 ---------- (*1)頻度としては上野駅アメ横周辺が多い。 ここで昼間からやっているオープンカフェみたいな居酒屋(こう書くとお洒落に聞こえるけど、真逆だからね!)の向かいの串揚げ屋がお気に入り。 それから、ここまで読んでくれた人にだけ白状すると、2軒目でスイーツしてから解散してます。 (*2)でかい会社だったので、千石に専用の古いホテルがあり、地方からの出張者がここに泊まらされた。 ホテルとは名ばかりで、基本相部屋だったし、同じグループ会社のみが泊まるので、寮と言った方が正確! 結局、そのホテルは見つけられませんでした。 (*3)40年くらい前、東京の予備校の通っていたときの寮が田端駅近くにあり1年間お世話になった商店街です。 当時、都電はあったけど舎人ライナーはありませんでした。 話は変わりますが、この商店街の本屋で初めてマイコンに出会いました。 雑誌「マイコン」と、著者名は失念しましたが(たぶん)東大マイコンクラブの方が書いた単行本です。 ■■■計算尺買いました(2018/08/12掲載,2019/01/13最終変更)■■■ 最近、計算尺を購入しました。 自分でも、なぜ急に計算尺が欲しくなったのか覚えていないのだけど、その時は何か理由があったのでしょう。 買ったのは日本のコンサイス社のNo.300です。 直径11cmの白い円盤の中に小さい円盤が埋め込まれて回転させることができ、それぞれの円盤には白地に黒(ちょっと赤もある)の目盛と数値がびっしり印刷されています。 計算尺を知らない人のためにちょっと説明しておきます。 計算尺は、基本的には対数の性質を使った掛算と割算を行う計算器です。 その歴史は古く、1614年に対数の原理が発見された後、1630年に至って2本の対数目盛を使った計算尺の原始的構造が発明されています。(*1) 形状は、直線状のものと円盤状のものがあり、2枚の定規(または円盤)がスライド(または回転)するようになっています。 計算原理はわかってしまえば簡単です。 仮に2枚の直定規を互いの目盛を合わせて机に置いたとします。 ここで、2+5を計算するには 1枚目の目盛2cmのところに2枚目の角(=0cm)を合わせ、2枚目の5cmのところの1枚目の目盛を見ると7cmになっているはず。 これで、直定規2枚を使って2+5=7の加算をしたことになります。 計算尺の場合は、目盛が対数目盛なので、先程の操作を行うと対数どうしの加算(つまり掛算)をおこなったことになります。 同様に割算も対数なら引算になるので、計算尺で可能です。(*2) 計算尺で有名なのは、ジブリ映画「風立ちぬ」(*3)で主人公が飛行機の設計に使っているシーンでしょう。 映画を見ていると、計算尺は当時の理系必須アイテムだったことがわかります。 私は小学生か中学生のとき授業で計算尺を習った(*4)記憶がありますが、高校生の頃には関数電卓が出始めていたので、計算尺を知っている最後の世代じゃないかと思います。 ちなみに本屋にはまだ対数表(ひたすら対数計算結果だけが載っている本)が売られてました。 ここら辺のアイテムを一掃したのが、電卓をはじめとするマイクロプロセッサ(マイコン)の応用製品です。 マイコンの誕生で便利になったのだけど、人類の英知が急速に失われていくような気がします。 秋の夜長、たまには机の引き出しからお気に入りの計算尺を取り出して遊ぶのも悪くない気がします。(*5) ----------------- (*1)購入した計算尺の取扱説明書からの知識です。 (*2)計算尺で三角関数も計算できるのですが、これは原理的には早見表を見ているだけのような気がします。今後解ったら追記しておきます。(*6) (*3)映画は計算尺がきっかけで結核のヒロイン菜穂子と再会するという、こじらせ理系男子が好きそうな現実離れしたストーリです。 言っとくけど現実にはありえないからね。でも、夢を見るってことはとっても大事、これも言っとく。 (*4)対数より先に計算尺を教えるってのは、原理は理解してなくてもいいから道具として使えればOKという考え。そういう意味では、電卓も同じか。 (*5)書籍「Make:Vol2」の記事「CalculateThis!」(p50-53)に美しい計算尺が載ってます。 その中の1つ、原子爆弾効果コンピュータ(1962年)は被爆して生存できる確率が計算できるという、美しくも恐ろしい冷戦時代の計算尺です。 でも、美しさでいえばE−6Bフライトコンピュータ(1966年)かな?パイロットじゃないから必要ないけど。 (*6)三角関数や二乗の計算は、原理的には早見表を見ているだけでした。 最初からxの値とxの二乗の値の対応が目盛られているので、例えばxが目盛ってある目盛の3にカーソル線を合わせて、同じカーソル線上の「xの二乗」の目盛を見れば9になっていて、それが答え。 ■■■再訪、国立国会図書館(2018/07/28掲載,2021/11/07最終変更)■■■ 久しぶりに国立国会図書館に行ってきました。 前回行ったのは2016年夏、その時は初体験でしたが、図書館の職員のヘルプもあり、何とか目的の資料を検索・閲覧・複写までの一連の作業を行ってきました。 今回はもうベテラン(?)ですから、わからないことがあれば迷うことなく近くにいる図書館の職員の方に声をかけて教えてもらいます。 この方法が最速・最強です! さて、今回の目的はほぼ半世紀前、世の中に半導体部品であるマイクロプロセッサ(マイコン)が誕生してから、数年後に日本にマイコンブームが起こるまでの過渡期の状況を知ることでした。(*1) その前に、基本的な年表を押さえておきましょう。 マイコン誕生の時期が 1969年インテル社が初の4ビットマイコン4004の開発を決定(decidestobuild)(*2) 1971年インテル社が初の8ビットマイコン8008を開発(develop) 1974年インテル社が8ビットマイコン8080を開発(invents) つまり、大阪万博のあった1970年前後に、最初の4ビット〜8ビットマイコンが誕生しています。(50歳以下には無意味な説明ね) 一方、日本でマイコンブームの先駆けとなった出来事は、1976年にマイコンキットTK−80が発売されたことで異論はないと思います。(*3) この頃の主な出来事を列挙すると 1976年マイコンキットTK−80(日本電気)を発売 1977年パソコンAPPLEU(アップルコンピュータ)を発売 1977年雑誌「月刊アスキー」が創刊 この頃、秋葉原では10万円前後のマイコンキットが飛ぶように売られていました。 では、この2つの間の過渡期(大体1969年〜1976年)に何が起こっていたのでしょうか。 解ったことは次の通りです。 (1)初の8ビットマイコン8008(1971年)でマイコンブームが到来してもいいようなものだけど、実際にはそうはならなかった。 (2)マイコンキットでよく使われていた8ビットマイコン8080の誕生は、8008と比較して意外と遅く1974年だった。 でもって、国立国会図書館で入手した資料は次の3つで、すべて日経エレクトロニクス(電子技術者向けの雑誌)の1974年のものです。 (3)もう一つのメジャーな8ビットマイコン6800の広告(ついにモトローラも8ビットマイコン参戦って意味) (4)マイコン8008を採用したコンピュータの広告(値段が書いてないってことは法人向けで高価ってこと) (5)マイコン8008のためのPL/Mコンパイラの記事、ゲーリー・キルダル(後のCP/Mの開発者)の記事 もう、この1974年時点で、産業界はマイコンがブームになっていたことがわかります。 8008ながら、コンピュータ(キットではなくたぶん完成品)やコンパイラがあります。 でも、アマチュアがこの技術を享受できるかといえば、高価すぎて無理。 一部の研究者・技術者が学校や会社などの経費で(テキトーな理由をつけて)買ってたことは容易に想像できます。 でも、本当はマイコンで遊んでみたかっただけというのが本音でしょう。 その数年後、お父さんのボーナスで買えるようになるまでマイコンの値段が下って、初めて庶民のためのマイコンブームが起ったというのが正しい解釈ではないかと思います。 ところで、話は変わりますが最近計算尺を購入しました。 そろばん(デジタル)に匹敵するアナログ計算器を手に入れたことになります。 この話は、いずれまた。(*4) -------------------- (*1)もう一つ「図書館カレー」を食べに行くのも今回の目的でしたが、夕方行ったらもう食堂は閉まってました。次回、リベンジね。(*5)(*7) (*2)元ネタが英文年表で細かいニュアンスがわからないため、すべて「開発」と書きました。括弧で元ネタの英文を併記してあります。 (*3)ここでいうマイコンキットとは、マイコンとその周辺回路の部品に、基板、OS(モニタプログラム)、簡単な入出力装置がセットになったものです。 半田付けするだけで完成し、コンピュータの知識がなくてもサンプルプログラム通りキーインすれば動きます。 (*4)参考文献 「パソコン革命の英雄たち(マグロウヒルブック株式会社)」 「80年代マイコン大百科(株式会社総合科学出版)」 (*5)2週間後に再び国会図書館に行って「図書館カレー」を食べてきました。 甘口のカレーに牛丼の具が添えられたものです。量は2種類あって、食べてきたのはメガじゃない方の普通の方。 もちろん、ちゃんと本も閲覧してきました。 マイコン雑誌「月刊I/O」の初期(1980年前後)に載っていたイラストは笑えます。 その中の登場人物で、KIM君は由来がわかる(当時の海外のマイコンキットの名称)のだけど、DAN君っていったいどこから来たのか? 今書いてて気が付いたのだけど、論理記号の"AND"を入れ替えて"DAN"にしたんじゃないかって。 そういえば、横顔がANDっぽかったな…。(*6) (*6)DAN君の顔には丸い鼻が付いてました。てことは、横顔がANDじゃなくてNANDが正解でした。訂正いたします。 このキャラ、羨ましいくらい無敵ですわ。 (*7)2019年1月、有志6名で「メガ図書館カレー」に挑戦してきました。忘れないうちにレコードを残しておきます。(*8) メガ図書館カレー完食2名(30〜40代) メガカツカレー完食1名(30代) (注文時点で)棄権3名(50〜60代) (*8)国立国会図書館6階食堂は2020年10月に閉店したようです。(国立国会図書館のホームページより) どうしても、あの大盛カレーを食べたい方は「区役所メガカツカレー」でググると見つかります。 東京都内の区役所の食堂にあるようです。 四角いお皿に入ったカツカレーで「お皿の大きさがトレイとほぼ同じ」というのがお約束です。 一方、メガ図書館カレー(カレー+牛丼の具)の方は見つかりませんでした。 たとえあったとしても、図書館の食堂で食べなければ「図書館カレー」と言えない気がするし…。 ■■■光の3原色と物理学(2018/02/11掲載)■■■ 今回は、本コラムのタイトルが「色々」ということで、私がかなりの歳になるまで誤解していた「色」に関することについて書きたいと思います。 「光の3原色」というのは、大抵の人は聞いたことがあると思います。 赤色、緑色、青色を混ぜると自由に色が合成できて、3色を合わせれば白色に見えるという、早い話がカラーテレビの原理です。 なぜこの話を持ち出したかというと、実は40代で蛍光灯の仕事に携わるまで漠然と「光の3原色=物理現象」と勘違いしていたからです。 もし、これを読んで 「あれ、光の3原色って物理現象じゃなかったの?だって、色によって光の波長は決まっているし、中学か高校で習った(*1)ような気がするし…」 という人は、残念ながら私の仲間です。私の勘では、自称「私は理系」という人の100人中、15人ぐらいはいます。(*2) もちろん、光は電磁波で波長によって色が決まっています。 大雑把に、赤色≒700nm(ナノメートル)、緑色≒546nm、青色≒436nmの波長です。 でも、ここまでが「物理学」の範疇です。 で、この色を一緒に見るとヒトの目には、赤色、緑色、青色をピークに反応するセンサがあるため、脳で処理して白色光と認識します。 ただ、これはヒトが赤色、緑色、青色の3種類の色センサを持つためです。 例えばイヌやネコだったら、2種類の色センサしかありません。(*3) 仮に、彼らに高い知能があって科学が発達しても、光の3原色という概念は絶対出てきません。 元々、そういう色センサを持っていないのですから当然です。 「光の3原色」という概念が生物種によって異なる以上、普遍的な「物理現象」で無いことは明らかです。 どちらかといえば「美術」か「生物学」の範疇です。 実は、白色は赤色、緑色、青色の3色の合成以外でも、色々な色(波長)の組み合わせパターンで白色発光が可能です。 一般にLED照明で良く使われるのが「青色に発光するLED」と「黄色に発光する蛍光体」の光を一緒に見せることで白色と認識させる方法です。 でも、青色+黄色で発光する白色光と、太陽光とでは、照らされた物(カラー印刷とか肉の赤色とか)は、厳密には同じには見えません。 赤色の波長を含まない白色光で、肉の赤色を見ても鮮やかに見えないのは当然です。(*4) なお、ここで「赤色の波長を含まない白色光」と極端に書きましたが、正確にはピーク波長が青色と黄色というだけで正確には他の色の波長も少しは含みます。 以上の考察で解る通り、「光」そのものは物理学の範疇ですが、「色」には物理学的な意味はありません。 強いて言えば、特定の波長の光に色の名前が付いている程度です。 仏教用語で「色即是空(しきそくぜくう)」があります。 この場合の「色(しき)」の意味は違うのですが「色(いろ)」についても同じことが当てはまるのは偶然の一致でしょうか? 何か、深い洞察力を持った偉人がこの2つに同じ漢字「色」を充てたのではないかと勘ぐってしまいます。 今回は、前から書きたかったのですが、うまく表現できなくて温めていたテーマでした。 やっとスッキリしました。(自己満足ね) -------------------- (*1)もし、中学か高校で、物理ではなく美術か生物の授業で習ったのであれば、正しい教え方です。 でも、40歳代(当時)の私に「光の3原色」を、いつ、どの教科で習ったかを思い出だせというのは無理というものです。 (*2)「100人中、□人ぐらいはいる」という表現は、自己正当化するの結構使えます。 ちなみに□の数はその場の気分(都合)で適当に決めてます。皆さんもどうぞ、ご自由に(自己責任で)お使いください。f(^_^; (*3)参考文献 「カラー図解でわかる光と色のしくみ(ソフトバンククリエイティブ)」 (*4)興味のある方は「演色性」というキーワードで調べてください。 ■■■電卓以下のマイコンとAI(2017/05/13掲載,2017/05/14最終変更)■■■ 1970年代前半のコンピュータに対する世間一般のイメージは、動作原理の解らない不思議な考える機械だったと思います。 私も含め一般の人は、本物のコンピュータを見たことが無いのだから仕方ありません。 当時のコンピュータは誤解されていて、磁気テープのリールがせわしなく動く映像を見て、この部分が頭脳の中心部と思っていた方も多かったと思います。 今考えると、この部分は頭脳(CPU)ではなく、単なる外部記憶装置ですね。 ただし同じ時代でも、技術者は別の景色が見えていました。 昨年の夏、会社の引越で書庫(キャビネット)を整理(廃棄)していた時、昔の技術専門誌にマイクロコンピュータ8008の記事を見つけました。(*1) 当然、技術専門誌ですからマイクロコンピュータ=電子部品の扱いで、それ以上でもそれ以下でもありません。 世間一般と技術者とで、コンピュータに対する認識のギャップが大きかった最後の時代です。 そしてわずか数年後、1970年代後半になると秋葉原に電気メーカー各社のマイコンキットが並び始めました。 突然、10万円でコンピュータ(マイコン)が手に入る時代の到来です。 ついでにマイコンが電卓以下の計算(簡単な演算と記憶)しかできないこともバレてしまいました。 そして約40年が経過した今、将棋でAIが人に勝つ時代の到来です。 でも、その能力は、乱暴な言い方ですが電卓以下の計算の積み重ね(サブルーチン)と記憶で実現されていることを知っています。 それに、誰が見てもAIはまだぎこちない自動機械にすぎません。 私はAI棋士(ロボット)が電車に乗って将棋会館にやって来て「今日は体調が悪くて朝起きられなくて遅刻しちゃった」みたいな言い訳をするまでは脅威でないと思ってます。 でも、いずれはその時は来ます。 その時、AIを脅威(敵)に感じるか、仲間(味方)として認めるか、それともあくまでも機械(道具)と見做すかの選択を迫られます。 AIが電卓以下の計算の積み重ね(サブルーチン)と記憶で実現されているということを知った上で、それでも結果としてAIの知性に敬意を払うか、それとも道具として見るかです。 これは、人間とは何かを問われていることになります。 私は、将来のAIは、敵か味方のどちらになるにせよ道具ではなく敬意を払う知性だと思っています。 今回は、とりとめのない話でした。 では、また。 -------------------- (*1)引越中(仕事中)でじっくり読めなかったので、今度、国会図書館に行ったとき読んできます。 ■■■印象に残った周辺装置(2017/02/05掲載,2017/02/12最終変更)■■■ 今回は「印象に残った」シリーズ第2弾です。 これまで出会った周辺装置のうち、特に印象に残った6台を紹介します。 (1)カセットインターフェース(自作) 1970年代後半のマイコンブームのとき、私が最初に入手したのが富士通のLkit−8というマイコンボードでした。 このボードには110bpsのシリアルポートがあり、ここに変調回路(*1)を接続してカセットテープレコーダーに音声信号としてプログラムを記憶させていました。 カセットテープレコーダーに接続するので、カセットインターフェースと呼ばれていました。 110bpsはテレタイプライターの通信速度から由来した速度で、単純計算(*2)で1秒あたり110÷8≒14バイトを記録します。 今考えれば、超低速ですがカセットテープではこれくらいが妥当は速度でした。 一般には、通信速度が300bps、変調方式がFSK方式(*3)のカンサスシティ規格が標準でした。 (2)TDV−02 アドテックシステムサイエンスの超有名なビデオRAMボードです。 ビデオRAMというのは、言葉の通りRAM(メモリ)なのですが、RAMに書き込んだデータに応じてテレビ(2チャンネル)に文字を表示する機能があります。 TVに文字を表示できると、本当にコンピュータだという実感が沸きます。 RAM容量は512バイトで、テレビ画面に横32文字×縦16行を表示することができました。 なお、ボード上のICは機密保持のためか型番が黒く塗り潰されてました。 現物は捨ててしまいましたが、取扱説明書は今でも持っています。 (3)Macintoshのプリンタ MacPlusと一緒に購入したプリンタで、製品名は忘れました。 インクリボン式のプリンタです。 でかくて、重い割に性能はいまいち(文字がでかい)で、ほとんど使いませんでした。 漬物石に使えるぐらい重いのですが、中に何が詰まってこんなに重いのかは謎のままでした。 (4)放電プリンタ 関東電子機器の安価なプリンタです。 印字方式は、ガムの包み紙のような(たぶんアルミ蒸着)専用ロール紙に、ヘッドからの放電で印字させるものです。(つまりインクは不要) このプリンタはケースが無く、基板がむき出しの状態でした。 特徴のある印字なので、昔のマイコン雑誌を見るとこのプリンタで印字したリストは直ぐに判ります。 (5)ビデオRAM(自作) 私にとって2台目のビデオRAMです。 専用ICがTV電波への変換処理の大部分行ってくれるため、高周波回路の知識が無くてもテレビに表示することができます。 自作と言っても回路はコンピュータ雑誌「RAM」の6802マイコンシステムの連載製作記事のコピーです。 ちなみにこの連載記事は秀逸でした。 私は、この記事のおかげでマイコン回路の謎が解けたといっても過言ではありません。 (6)ボールペン方式のXYプロッター メーカーは忘れました。 XYプロッターといっても形状は小形プリンタです。 構造は、短い3色(4色だったかも)のボールペンのヘッドがありこれがロール紙に文字を描きます。 ボールペンで文字を書くのですから、印字中はカタカタ忙しなく動きます。 あまり激しく動くせいか、メカ(歯車)が壊れて成仏しました。 以上、個人的に印象に残った周辺装置を紹介しました。 ちなみに、今のお気に入りはKINGJIMのパソコン接続専用のテプラです。(*4) -------------------- (*1)トーンバースト方式という最も簡単な変調方式で、デジタルデータの0と1を音声信号の有無で表します。 (*2)実際はスタートビット、ストップビットがあるのでもっと低速になります。 (*3)FSK方式では、デジタルデータの0と1を周波数の異なる2種類の音声信号で表します。 トーンバースト方式よりは雑音に強く、高速で記録できると言われています。 (*4)参考文献 「マイ・コンピュータをつかう(講談社)」 「エンサイクロペディア・アスキーVolume3(アスキー出版)」 「TVD−02取扱説明書(アドテックシステムサイエンス)」 ■■■マイコンの自作(2016/11/23掲載,2019/01/14最終変更)■■■ 1970年代「マイコンの自作」という結構ハードルの高い趣味がありました。(*1) 当時の「マイコンの自作」の一般的な解釈は、マイコンチップ(LSI)を購入し、それを動かせるような周辺回路(ハードウェア)を手造りすることを意味しました。 したがって、市販マイコンキットを買ってきて半田付けしたものは、自作マイコンとは言いません。 自作マイコンには、キット組立には無い大きな問題がありました。 それは「ハードは作ったけれど、どうやってこれにプログラムを書き込むか」という問題です。 いわゆる「ソフトが無ければただの箱」状態です。 当時、大抵のマイコンキットには、モニタROM(小さなOSが書き込まれたROMと考えてください)が付いていました。 したがって、キット組立直後からモニタプログラムが動作し、16進キーと7セグメントのLEDを入出装置として機械語プログラムを入力できるのが一般的でした。 一方、自作マイコンの場合、このハードウェアに対応した都合の良いモニタROMは市販されていません。 したがって、自作マイコンではモニタROMを使わず別の方法でプログラムを入力します。 その方法は、マイコンとRAMとの間の配線(バスライン)を一時的/電気的に切り離し、配線1本ごとに接続されたトグルスイッチを操作してRAMを直接操作します。(*2) RAMは規定の信号を与えれば、たとえ相手がマイコンでなくて読み書きができますので、スイッチ操作でプログラムを書き込むことも可能です。 黙々と1バイトずつスイッチでプログラム(当然2進数)を入力した後、切り離していたマイコンとRAMとの間の配線を(電気的に)元に戻すと、CPUはRAMに書かれたプログラムを実行できる状態になっています。 実は、これで一件落着ではありません。 この状態でマイコンシステムの電源を落とすと、時間をかけて入力したRAM内のプログラムが一瞬で消えてしまいます。 対策としては、マイコンシステムの電源を落としてもRAMだけは電池で電気を流しておいてデータが消えないようにするのが定石でした。(バッテリーバックアップね) CMOSのRAMであれば、非常に少ない電流でメモリ内容を保持することができます。 マイコンの自作は、技術、資金、時間、そして根性が揃って初めて達成できる趣味です。ちなみに、私は挫折しました。f(^_^; 生産性のない趣味と言ってしまえばそれまでですが、当時はマイコンをいじっていること自体がムダみたいなものですから、やっている本人が楽しければそれでよいのかと思います。 唯一の見返りは、コンピュータへのより深い理解でしょうか? パソコンでゲームをする時代は、これよりもう少し後になります。 -------------------- (*1)似た言葉に「パソコンの自作」があります。 マザーボードにCPUや周辺装置を接続してパソコンに仕上げるだけで「自作」というのはちょっと(かなり)言い過ぎという気がします。 でも、よく考えると「マイコンの自作」も出来合いのマイコンチップ(LSI)を購入している訳で、こっちも同じくちょっと言い過ぎですね。 ただし、本当にマイコン(CPU)を自作する人もいました。こちらは、正真正銘マイコンの自作です。(*3) (*2)昔のマイコンシステムの写真で、前面パネルに20〜30個位のトグルスイッチとLEDが並んでいるのがあったら、たぶんこれです。 (*3)興味のある方は次のホームページを訪れてみてください。 http://tanacom.jpn.org/(TTLのみでCPUを作った手作り16bitコンピューターTANACOM-1誕生) ■■■たぶん世界で一番小さなプログラミング言語(*1)(2016/10/01掲載,2016/10/09最終変更)■■■ このホームページでは、さも常識のようにVTL言語と表記しているけれど、知らない人には何のことかさっぱり解らないと思います。 ここらへんで、きちんと説明しておくことにします。 なお、往年のベテランプログラマの皆様は知っている話ですので、今回は読み飛ばすか、鋭いツッコミを入れてください。f(^_^; まずは名前の由来ですが、VTLはVeryTinyLanguage(非常に・小さな・言語)の頭文字をとっています。(*2) 1970年代のコンピュータ言語で、モトローラ社のMC6800マイコン上で動作します。 その名の通り、非常に小さなコンピュータ言語で、インタプリタの機械語サイズは768バイト(0.75Kバイト)以内に収まっています。 同じ時代のTinyBASICという浮動小数点が扱えない整数BASICインタプリタのサイズが大体2Kバイトであることを考えると、その半分以下で動作するVTLは驚異的な小ささです。 VTLは、インタプリタのサイズが小さいためBASICの命令表記は使えず、すべて記号を使った代入式で表現します。 例えば「GOTO行番号」「INPUT変数名」を、VTLでは「#=行番号」「変数名=?」と表記します。 TinyBASICのような小さなインタプリタを作った経験のある方はわかると思いますが、実はこのインタプリタの「数式処理」部分は機能が小さいため意外と簡単に(しかも小さく)作れます。 これに対し「編集処理」部分(ユーザプログラムの書込、削除、挿入、表示)は小さな言語とはいえ省略できない機能(*3)で、小規模な言語ではこれが相対的に大きなサイズを占める(しかも労力がかかる)ことになります。 VTLは、768バイトにこの「編集処理」機能まで含んでいるという意味で、凄いと言わざるを得ません。 このサイズの小ささは、MC6800機械語のメモリ効率が良かったことと、当時メモリが高価だったという時代背景から来ています。 現代はCPUのバス幅が増え、メモリが安くなったため、逆にこの記録は破られにくくなっています。 米国のMITS(MicroInstrumentationTelemetrySystems)社のAltair680bというコンピュータシステムのPROMに書き込まれていたのがこのVTLです。 その後、VTLが日本の雑誌に紹介され、類似の記号表記の言語としてGAME、VTL−MSなどが日本で開発されることとなります。(*4)(*5) -------------------- (*1)汎用的ではない小さなプログラミング言語(Brainfuckなど)があるらしいのですが、別世界ですのではここでは除外します。 (*2)別名マイクロBASICと呼ばれることがあります。 (*3)特にBASIC(インタプリタね!)は、行番号を使ったプログラムの編集機能までが言語仕様みたいなところがあります。 (*4)参考文献 「エンサイクロペディア・アスキーVolume1〜3(アスキー出版)」 「パソコン革命の英雄たち(マグロウヒルブック株式会社)」 「小型インタプリタ「VTL−MS」(琉球大学理学部紀要第63号)」 (*5)次のホームページにVTLに関する情報があります。 http://www.mztn.org/rvtl/vtltabl.html(Jun'sHomepageVTL系言語の歴史) http://middleriver.chagasi.com/electronics/vtl.html(VTL(VeryTinyLanguage)の作成) ■■■いざ、国立国会図書館へ!(2016/09/04掲載,2018/08/12最終変更)■■■ 東京近郊に移り住んで10年以上経ちますが、いまだに訪れたことがなく一度は行ってみたい場所がたくさんあります。 その1つが国立国会図書館(*1)です。 名前に「国立」と「国会」の両方の単語を含む偉そうな施設は滅多にあるもんじゃないです。 行っただけで偉くなったような気分になれます。(気分だけね) ところで私の頭の中にある国立国会図書館のイメージは 「国会議事堂の近くにあり、国内で発行された本は法律によってその内容にかかわらず全て保管されていて、希望すれば誰でも閲覧・複写できる。 ただし、書庫の本を閲覧するには手間がかかる(職員が指定された本を書庫まで行って取ってくる必要がある)(*2)ので、国会関係者や研究者でもない普通の人が興味本位で利用するのは歓迎されないかも?」 といったところです。 まあ、勝手な思い込みで遠慮してても仕方ないので、土曜日の昼過ぎ、都心に行く用事のついでに行ってきました。 実際に行ってみたら、思っていたのとは正反対で「普通の人」ウエルカム状態でした。 まず、初めて訪れた人が困りそうな場所には必ず職員が立っています。 私のように勝手がわからないでウロウロしていると、逆に向こうから察して声をかけてきます。(完全に初心者であることがバレてました) 一方、手続きの方は徹底的に機械化(コンピュータ化)が進んでいて、目的の本を探す、書庫から本出してもらう依頼、依頼した本が準備できたかの確認、は端末操作で行なえます。 唯一の例外は本の複写(コピー)依頼で、これだけは現物の本のページを指定しなければいけないためか複写範囲の先頭と末尾にしおりを挟んで指定しました。(*3) 全般的な感想ですが、普通の人が過去の文献に気軽にアクセスできるということは、さりげなく凄いことです。 さすがは日本、この点は文化的に先進国であると認めざるを得ません。 漫画を読んでいる人も結構いましたが、クールジャパンでは漫画も文化として認知されている証拠です。(本当かな?) さて、私の方はせっかくの機会なのでVTL言語関連の文献を調べましたが、探し方が悪いせいかあまり検索でヒットせず、琉球大学の文献(VTL−MS)1件のみでした。 この文献は有名なので存在は知っていましたが、今回原本に接し、複写することができました。 勘違いしていたのは、漠然と過去の本の内容の全文検索で本が探せると思い込んでいたことでした。 インターネットの世界では全文検索があたりまえですが、よく考えれば物理的な印刷物には無理なことでした。 ただ、探し方にノウハウがあるはずで、私はまだそこまで到達できていないような気がします。(次回、再挑戦ということで) 帰りは、今日の戦利品である文献のコピーと図書館のカード(*4)を持って、本来の用事(新橋駅界隈)にいきました。その後のことは説明不要ですよね。よって省略。 では、また。 -------------------- (*1)国会議事堂の傍にある(最寄り駅は日比谷線永田町駅)国立の図書館です。国会という名前が付いていますが、国会議事堂内にある訳ではありません。(*5) (*2)今、ふと思ったのだけれど書庫の本は自動倉庫のようになっていて、端末で指定すると機械が書庫から自動的に本を取ってくるのかも?(あくまでも想像です!) (*3)正確には、複写依頼の用紙を端末からプリントアウトしてそこに必要事項を記入したものを、しおりを挟んだ本と一緒に提出します。 (*4)初めて行く人は身分証明書(運転免許証等)をお忘れなく。登録利用者カードを発行してもらうのに必要です。 (*5)最寄り駅は「日比谷線」じゃなくて「有楽町線・半蔵門線・南北線」の「永田町駅」でした。2年ぶりに訂正いたします。 ■■■印象に残ったコンピュータ(2016/08/21掲載,2021/01/26最終変更)■■■ これまで出会ったコンピュータのうち、特に印象に残ったが6台を紹介します。 中にはコンピュータと呼べないものも含んでいますが、すべて何らかの計算を行うものです。 (1)加算器(加算を行う基本回路) 論理素子(AND,OR,NOT)の集まりであるコンピュータが論理演算ができるだけでなく算術演算ができるのはなぜか?という疑問(不思議ですよね)は、加算器を知ると納得します。 回路は省略しますが、論理素子を組み合わせると2進数1桁の加算器(厳密には全加算器)が出来上がります。 この全加算器をN個連結すると2進数N桁の加算回路になります。 これをコンピュータと呼べるかどうかは異論のあるところですが(たぶん呼べない)、電気的に足し算を行う機械であることは間違いありません。 なお、論理素子はリレー(電磁石と接点)でもかまわないため、作るだけなら小学生の夏休みの工作でも作れます。 (2)チューリングマシン(*1)(仮想の計算機) コンピュータを数学的に扱うとき必ず登場する「仮想の」計算機です。 30年ぐらい前に情報工学の授業で出会いましたが、このマシンの理解は挫折しました。 コンピュータ=万能チューリングマシン、何のことかさっぱり解りませんよね?! チューリングマシンの機能は現実のコンピュータとはかけ離れていて、実際にプログラミングするのは困難です。 ただ、困難とはいっても不可能ではないので、世の中には当然プログラミングできる人もいます。(興味のある人はググってください) (3)プログラマブルコントローラ(リレーの配線をプログラムに置き換えたコンピュータ) 主に機械のON/OFF制御を行う専用のコンピュータです。 意外かもしれませんが、昔からコンピュータが無くても、リレーの配線によって普通に機械制御が行われていました。 プログラマブルコントローラはこのリレーの配線(ワイヤードロジック)をコンピュータプログラムに置き換えた装置と言えます。 電気メーカー各社が販売しているのですが、産業機器のため工場の制御盤に組み込まれていて一般の人はまず見たことがないと思います。 (4)Macintosh(Lisaの後継) ここまで異色の計算機を紹介してきましたが、やっと普通の(?)計算機の登場です。 言わずと知れたアップルコンピュータ社の製品で、初代MacとMacPlusのデザインは特に洗練されていました。(MacSEは機能優先で妥協したので除外) 初代Macは1980年代前半の製品で30年以上経っていますが、現在でもデザイン的に古さを感じさせません。 個人的には、PC98全盛時代にあえてMacPlusを周辺機器を含め50万のローンを組んで購入した思い入れのある製品です。(*2) 実は、Macintoshの前にLisaというほぼ同じコンセプトのパソコンがあったのですが、こちらはほぼ忘れ去られています。 Lisaの価格(高い)のせいもあると思いますが、Macintoshのデザインに依るところが大きかったのではないかと思います。 (5)HP100LX(本当に持ち歩けたDOSマシン) HP100LXは20年以上前の製品ですが、単三乾電池駆動で軽いため気軽に外に持ち歩けました。 パソコンを持ち歩けるという感覚は、現在のスマートフォンに近いものがあります。 1990年代前半、時代はすでにWindows(ただし95以前)でしたが、HP100LXは英語版DOSで有志が日本語化するというマニアックな製品でした。 外出先で、灰色のISDN公衆電話に繋いでパソコン通信をしてました。 (6)スチームパンクコンピュータ(ウイキペディアに掲載されていた未知のパソコン) たまたまウイキペディアで「スチームパンク」を調べたとき見つけた美しいコンピュータです。 もしかすると、私が知らないだけで有名なコンピュータなのかも知れません。 スチームパンク感は半端ではありません。 見ていない人に説明すると、18〜19世紀にディスクトップパソコンがあったらこんな感じというものです。 以上、個人的な計算機体験を紹介しました。皆さんもそれぞれの思い出のマシンがあることと思います。 では、また。 -------------------- (*1)チューリングの名前は、最近のAIブームで「チューリングテスト」の方が知られているかも。 (*2)念のために断っておきますが、私は盲目的なアップルファンではありません。特に携帯電話のiPhoneは大嫌いです。(使いにくいし、デザインはダサいし)(*3) (*3)現在2021年1月26日、私はAppleファンを辞めました。 理由はアメリカ大統領選挙後、AppleがトランプがSNS(パーラー)で発言できないようにパーラーをiPhoneのアプリストアから削除したからです。 これは商売上の理由でゲームアプリをiPhoneから削除するの訳が違います。 これは言論統制です。 トランプが最後まで「不正投票があった」と主張していたための口封じなのですが、不正の真偽はともかく、Appleが言論統制に加担する日が来るとは思ってもみませんでした。 Appleはそういうところから一番遠いところにある企業だったはずです。 今回の選挙で多くのアメリカ人は、共産圏や独裁国家で起こっていることが、身近に起こっていることに気が付いたと思います。 残念なことですが、このことでAppleは二人のスティーブが残した目に見えない優位性(多くのアップルファン)を失ったと思っています。 これからはAppleはハンデ(優位性)無しの実力のみで戦わなければなりません。それでも生き残れるか、最後まで見届けたいと思ってます。 昔のAppleと二人のスティーブに。 あなたたちは本当に良い時代に生まれ、同時代のたくさんの人に影響を与えてくれました。 ■■■eZ8CPUコアの特徴(2016/06/05掲載,2016/06/07最終変更)■■■ 前回、eZ8CPUコアがZ80と全く異なるという話をしました。 ついでなので、eZ8CPUコアの特徴を、ちょっと変った点を含めて今回まとめて説明したいと思います。 なお、以下の説明では「eZ8CPUコア」と「eZ8CPUコアを使用したZ8Encore!」を区別せずに書いています。 (1)プログラムのスタート リセット解除後のスタートアドレスは、ROMエリアの2H〜3H番地に書かれたベクタアドレスとなります。 4H番地以降は各種割込のベクターアドレスが続き、その後がプログラムコードエリアになります。 これらのことは、どのCPUも似たり寄ったりで、特に違和感は無いと思います。 (2)ROMとRAMのアドレス ROMエリアはRAMエリアとは別々に存在し、同じアドレスであっても重なっていません。 このことは、昔のマイコン(8080、6800など)しかいじっていない人には違和感(もっとはっきり言うと不満)があるかも知れません。 (3)2バイト演算命令が無い 命令セットに2バイトデータの加減算命令がありません。 今時、その気になれば簡単に実装できる命令が無いのは、何か理由(設計思想)があるものと思っています。 もちろん、2バイトデータの加減算命令が無くても、プログラムを数行書けばよいだけのことなので問題ありません。 (4)ワーキングレジスタ eZ8には、ワーキングレジスタと呼ぶ16個の8ビット汎用レジスタがあります。 このレジスタはRAMエリアの任意の場所(xx0H〜xxFH番地)に設定することができ、途中で場所を変更することもできます。 ただし、私は個人的な好みとして、ワーキングレジスタを0H〜FH番地に固定して使っています。 eZ8の設計者の意図と違う使用方法ではないかと薄々感づいているのですが、それが何かは理解できないでいます。 (5)エスケープドモードアドレッシング 特定の番地(RAMのExH番地など)をアクセスしたときのみ、通常とは別のアドレッシングモードとなる命令があります。 これを、エスケープドモードアドレッシングと呼びます。 eZ8に慣れていない頃、ワーキングレジスタのアドレッシングモードが貧弱(当然あるべきアドレッシングモードが無い)なので不思議だったのですが、エスケープドモードで実装していました。 なお、エスケープドモードアドレッシングは、アセンブラがサポートしてくれればプログラマは意識する必要はありません。(*1) (6)ニーモニック末尾のX 技術的な問題ではないのですが、私と同じ罠にはまらないように説明しておきます。 6800系CPUでLDXというと、インデックスレジスタXにデータをロードする命令になります。 eZ8にもこのLDX命令がありますが、インデックスレジスタとはまったく関係ありません。。 推測ですが、eZ8ニーモニック末尾のXは、e(X)tendedAddressingの意味と思います。 eZ8では、8ビットの範囲のアドレッシングのLD命令に対し、LDX命令は12ビットの範囲に拡張されています。 同様の命令として、SUBX、ANDX、CPXなどがあります。 以上です。 eZ8CPUコアとZ8Encore!のイメージが掴めていただけたでしょうか? 次回は「ほぼ雑感」に相応しく、技術的な話は抜きにします。 -------------------- (*1)ZCPU1/Kキットに添付のアセンブラは、エスケープドモードアドレッシングをサポートしていません。 したがって、プログラマが意識する必要があります。 ■■■ごあいさつ(2016/05/22掲載,2016/05/23最終変更)■■■ 本ホームページをご訪問いただき、ありがとうございます。 見てわかる通り、マイコンのボードに独自開発のアセンブラ、マイクロBASICなどを一緒にしたキットを販売しています。 CPUコアにはマイコンの老舗ザイログ社のeZ8を採用しました。 ザイログ社と言えば、真先に1970年代から販売されている8ビットCPUのZ80が思い浮かぶと思います。 本キットで採用したeZ8は、このZ80に名前こそ似ているものの全く異なるアーキテクチャになっています。 アーキテクチャでグループ分けすれば、Z80は誕生当時(1970年代)主流だった他の8ビットCPU(モトローラ6800、インテル8080)と同じグループに属します。 では、これらのCPUとeZ8のどこが異なるかと言うと「eZ8はRAM(*1)上の機械語プログラムを実行できない(*2)」ということに尽きると思います。 この制約は、RAMとROMのバスが分離していることからきています。 ホビー用途としては多少面白みに欠けるのですが、コントローラ用に設計されたCPUを無理やり他の目的に使用しようとしているので仕方ありません。 それでも、CISC命令、DIPパッケージでRAM4Kバイトの品揃えがある、などのメリットがあるため採用しました。 最後に、ガンダムEz8繋がりで本ホームページを訪れた方にはごめんなさい。ここにガンダム情報はございません。f(^_^; では、また。 -------------------- (*1)ザイログはRAMではなくレジスタと呼んでいます。 (*2)BASICプログラムは単なるテキストデータなのでRAM上に置いても実行可能です。本キットもRAMに置いています。